- TOP
- ≫ メッセージ
会計実務家コラム
会計ダイバーシティでは、会計領域でご活躍されている実務家の方々のコラム記事などをご紹介してまいります。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
田原中男氏の尖った提案
*毎週の連載から不定期での連載に変更となりました。
2025/12/03 その452 日本はどこに向かって漂流するのか
最近の日本の状況を見るとまさに「漂流」と言っても良いのではないでしょうか。
何故か?
SNSの影響もあるのかもしれませんが、直近の各種選挙における投票率の特徴は若年層の高い投票率にあります。
前にも指摘しましたが日本以外の国では若者の投票行動がその国の政治に刺激を与えてきました、特に変革を要求するような行動がどこにでも見られたのですが、唯一例外だったのが日本です。
しかしこの傾向に変化が見られます、しかし残念ながら改革思考ではなく「保守」思考です。
もっとも現在の混迷と低迷の社会を変革しようという意識はあるのかもしれませんがその方向が一般的な傾向と逆に「保守」に向かっています。ただ世界的に保守化の傾向が強まっていますので、その意味では世界の潮流なのかもしれません。
保守か否かはさておき何が始まっているのかを分析してみましょう。
一つには政治のファッション化があります。つまり政治的な心情ではなく世の中の流れに沿った思考、行動を取るということです。
二つ目には緻密な思考ではなく感情に重きを置いた行動です。石破前首相と高市首相を比べてみると明確です。
論理的に緻密な思考で政策を考える石破流は最近の流行りではなかったのでしょうが、政治の世界では一つの言動が複雑な波紋を与えるので先々の影響まで考えた言動が重要です。
これと比較してアメリカ空母上で飛び跳ねて喜んだり国会答弁で台湾有事について“他国が他国を戦艦等の武力で威嚇”した場合は日本にとって緊急事態だと言ったのには驚きました。
まず日本も他国と同様「一つの中国政策」をとっているので「他国が他国」という表現は不適切です、また個別の事例を挙げて緊急事態がと表現するのは発言自体が制約条件になってしまいますのでこれまでの首相答弁では曖昧な表現をとっていました。
これらの発言も問題ですがここで指摘したいのはマスコミが全く無反応なことです。
石破前首相の終戦のコメントにもあった通り、戦前の日本が誤った道に進んだ原因の一つにマスコミが政権と癒着してマスコミとしての疑問や主張をしなかったこと挙げていますが正に今回にも当てはまるようです。
政治的な言動に対して国民は勿論、マスコミからの批判がなければ許容されるという誤ったメッセージが送られてしまいます。
国民も、マスコミが沈黙する中で声を上げることは少なくなり結果的に「選挙で信任を得た」という言い訳に使われてしまいます。
このようにみてみると表題のように日本はどこかに向かって漂流しているように見えますし、その行先に危うさを覚えてしまいます。
国民が危うさに気がついた時には時すでに遅し、で「Point of No Return」を過ぎてしまうと元に戻ることはできませんので、その前に前兆が見えた時点で如何にして将来を予見し、先見の明を示すのが政治の役割ですが、その役割はマスコミにも大きく背負わされています。
ここで一つ日本とドイツの違いを示してみます。
ドイツでは戦後になって戦前のドイツを「ナチスドイツ」として認識しその排除を徹底して行いました、つまりナチスドイツと関連した人物や思想、行政組織等を徹底的に排除したのです。
翻って日本では「軍国主義日本帝国」というレッテルは明確でなく戦前の思想、人物、仕組みが曖昧に継続されました。
天皇制が維持されたとはいえ、統治機構や統治の思想、人材は引き継ぐべきではなかったのですが多くの分野で曖昧なまま引き継がれてしまいました。
官僚機構は基本的に戦前と同じ、急遽設立された自衛隊には多くの旧軍人が採用され、また満州統治に関わった多くの人材が戦後も主要な地位を占めましたし、中には首相にまで上り詰めた人もいます。
官僚機構や軍隊組織の中での上下関係は絶対ですのでこれらの人物が残ったことで旧来の統治機構の思想が残されてしまいました。
戦後の復興は日本もドイツも「奇跡の」という形容詞のつくような成長を成し遂げましたがその中身は随分と異なっており、世界政治の場でのドイツの存在感と日本の立場に大きな違いが出ています。
ヨーロッパでは今でもフランスとドイツが政治の中心です、ヨーロッパから見るとイギリスはヨーロッパではなくアメリカとの大西洋国家という認識です。アジアでは、特に東アジアの安定のためには日中韓のリーダーシップが求められるのですが戦前との決別が曖昧な日本は中韓とガッチリとスクラムを組む体制はできておらず不安定さが残ったままです。
日本の課題を二つ挙げると
反省と記録
ではないでしょうか。
ナチスの悪行が明確にな理、関係者が復活できないのはナチスドイツでさえ正確な記録を残していたからで、強制収容所についても正確な記録が残っています。翻って日本ではあの学徒出陣でさえ記録がなく結局誰が出陣したのかその人数はという問いには答えられない状況にあります。
最近では安倍首相にまつわる不正についても役所の記録が無い(ことになっている)ためにいまだに真相が不明確です。
役所に記録がない筈はないので意図的に隠蔽したことは明白ですがこれを追求するマスコミも無く本来あるべき記録を保管しなかった役所の担当者が処分されたという話もありませんのでまさに役所ぐるみの隠蔽ということになるのでしょう。
もっとも責任者ではなく実務担当者がその真実と繕いの狭間の中で自殺するような事態でも決して真実が公に語られたり、マスコミに取り上げられることはありません。
記者クラブ制度の悪用なのかもしれません、即ち記者クラブから排除さるるという恐怖心(現場の記者でなく、デスクによる組織を守るという配慮がそうさせているのでしょう)から知っていても書かない、書けない、書かせないということになるのでしょうか。
戦前の軍とマスコミの関係と相似形になっています。
ドイツのように記録は必ずあるという前提であれば記録は開示せざるを得ませんし、もし改ざん廃棄したのならその担当者は処分されるべきです。担当者の処分がないということは個人の問題ではなく役所全体として隠蔽したということになりますがこのような報道もありません。石破前首相が述べたように社会全体の記録に対する無関心、マスコミの怠慢が国を誤った方向に導いてしまうことになるのでしょう。
所得倍増計画の池田首相は明確に経済優先でした。
本来保守の石破首相は論理立てた議論を積み重ねて政策を決定すべきという主張は明快でした。
しかし、安倍首相、高市首相はどこに優先順位があるのか不計画でその場その場のムードで制作決定しているように見え、それが漂流しているような印象になるのでしょうし、実際に風見もしないまま大海原に漕ぎ出してしまったようです。
船頭に任せろという掛け声は勇ましいですが天候が悪化した時にはどうなるのでしょうか。
知床遊覧船事故と同じようなことになっていませんか。
乗客も自ら天気予報を確認し船に乗らない決断もしなければならないのかもしれませんが、国籍を捨てることは容易ではないので船頭の実力の見極めが大変重要です。
近年の優秀な人材が日本を離れているのはこのような状況をいち早く察知して国籍放棄はしないものの精神的には日本から離脱しているということなのかもしれません。
2025/12/03 その452 日本はどこに向かって漂流するのか
最近の日本の状況を見るとまさに「漂流」と言っても良いのではないでしょうか。
何故か?
SNSの影響もあるのかもしれませんが、直近の各種選挙における投票率の特徴は若年層の高い投票率にあります。
前にも指摘しましたが日本以外の国では若者の投票行動がその国の政治に刺激を与えてきました、特に変革を要求するような行動がどこにでも見られたのですが、唯一例外だったのが日本です。
しかしこの傾向に変化が見られます、しかし残念ながら改革思考ではなく「保守」思考です。
もっとも現在の混迷と低迷の社会を変革しようという意識はあるのかもしれませんがその方向が一般的な傾向と逆に「保守」に向かっています。ただ世界的に保守化の傾向が強まっていますので、その意味では世界の潮流なのかもしれません。
保守か否かはさておき何が始まっているのかを分析してみましょう。
一つには政治のファッション化があります。つまり政治的な心情ではなく世の中の流れに沿った思考、行動を取るということです。
二つ目には緻密な思考ではなく感情に重きを置いた行動です。石破前首相と高市首相を比べてみると明確です。
論理的に緻密な思考で政策を考える石破流は最近の流行りではなかったのでしょうが、政治の世界では一つの言動が複雑な波紋を与えるので先々の影響まで考えた言動が重要です。
これと比較してアメリカ空母上で飛び跳ねて喜んだり国会答弁で台湾有事について“他国が他国を戦艦等の武力で威嚇”した場合は日本にとって緊急事態だと言ったのには驚きました。
まず日本も他国と同様「一つの中国政策」をとっているので「他国が他国」という表現は不適切です、また個別の事例を挙げて緊急事態がと表現するのは発言自体が制約条件になってしまいますのでこれまでの首相答弁では曖昧な表現をとっていました。
これらの発言も問題ですがここで指摘したいのはマスコミが全く無反応なことです。
石破前首相の終戦のコメントにもあった通り、戦前の日本が誤った道に進んだ原因の一つにマスコミが政権と癒着してマスコミとしての疑問や主張をしなかったこと挙げていますが正に今回にも当てはまるようです。
政治的な言動に対して国民は勿論、マスコミからの批判がなければ許容されるという誤ったメッセージが送られてしまいます。
国民も、マスコミが沈黙する中で声を上げることは少なくなり結果的に「選挙で信任を得た」という言い訳に使われてしまいます。
このようにみてみると表題のように日本はどこかに向かって漂流しているように見えますし、その行先に危うさを覚えてしまいます。
国民が危うさに気がついた時には時すでに遅し、で「Point of No Return」を過ぎてしまうと元に戻ることはできませんので、その前に前兆が見えた時点で如何にして将来を予見し、先見の明を示すのが政治の役割ですが、その役割はマスコミにも大きく背負わされています。
ここで一つ日本とドイツの違いを示してみます。
ドイツでは戦後になって戦前のドイツを「ナチスドイツ」として認識しその排除を徹底して行いました、つまりナチスドイツと関連した人物や思想、行政組織等を徹底的に排除したのです。
翻って日本では「軍国主義日本帝国」というレッテルは明確でなく戦前の思想、人物、仕組みが曖昧に継続されました。
天皇制が維持されたとはいえ、統治機構や統治の思想、人材は引き継ぐべきではなかったのですが多くの分野で曖昧なまま引き継がれてしまいました。
官僚機構は基本的に戦前と同じ、急遽設立された自衛隊には多くの旧軍人が採用され、また満州統治に関わった多くの人材が戦後も主要な地位を占めましたし、中には首相にまで上り詰めた人もいます。
官僚機構や軍隊組織の中での上下関係は絶対ですのでこれらの人物が残ったことで旧来の統治機構の思想が残されてしまいました。
戦後の復興は日本もドイツも「奇跡の」という形容詞のつくような成長を成し遂げましたがその中身は随分と異なっており、世界政治の場でのドイツの存在感と日本の立場に大きな違いが出ています。
ヨーロッパでは今でもフランスとドイツが政治の中心です、ヨーロッパから見るとイギリスはヨーロッパではなくアメリカとの大西洋国家という認識です。アジアでは、特に東アジアの安定のためには日中韓のリーダーシップが求められるのですが戦前との決別が曖昧な日本は中韓とガッチリとスクラムを組む体制はできておらず不安定さが残ったままです。
日本の課題を二つ挙げると
反省と記録
ではないでしょうか。
ナチスの悪行が明確にな理、関係者が復活できないのはナチスドイツでさえ正確な記録を残していたからで、強制収容所についても正確な記録が残っています。翻って日本ではあの学徒出陣でさえ記録がなく結局誰が出陣したのかその人数はという問いには答えられない状況にあります。
最近では安倍首相にまつわる不正についても役所の記録が無い(ことになっている)ためにいまだに真相が不明確です。
役所に記録がない筈はないので意図的に隠蔽したことは明白ですがこれを追求するマスコミも無く本来あるべき記録を保管しなかった役所の担当者が処分されたという話もありませんのでまさに役所ぐるみの隠蔽ということになるのでしょう。
もっとも責任者ではなく実務担当者がその真実と繕いの狭間の中で自殺するような事態でも決して真実が公に語られたり、マスコミに取り上げられることはありません。
記者クラブ制度の悪用なのかもしれません、即ち記者クラブから排除さるるという恐怖心(現場の記者でなく、デスクによる組織を守るという配慮がそうさせているのでしょう)から知っていても書かない、書けない、書かせないということになるのでしょうか。
戦前の軍とマスコミの関係と相似形になっています。
ドイツのように記録は必ずあるという前提であれば記録は開示せざるを得ませんし、もし改ざん廃棄したのならその担当者は処分されるべきです。担当者の処分がないということは個人の問題ではなく役所全体として隠蔽したということになりますがこのような報道もありません。石破前首相が述べたように社会全体の記録に対する無関心、マスコミの怠慢が国を誤った方向に導いてしまうことになるのでしょう。
所得倍増計画の池田首相は明確に経済優先でした。
本来保守の石破首相は論理立てた議論を積み重ねて政策を決定すべきという主張は明快でした。
しかし、安倍首相、高市首相はどこに優先順位があるのか不計画でその場その場のムードで制作決定しているように見え、それが漂流しているような印象になるのでしょうし、実際に風見もしないまま大海原に漕ぎ出してしまったようです。
船頭に任せろという掛け声は勇ましいですが天候が悪化した時にはどうなるのでしょうか。
知床遊覧船事故と同じようなことになっていませんか。
乗客も自ら天気予報を確認し船に乗らない決断もしなければならないのかもしれませんが、国籍を捨てることは容易ではないので船頭の実力の見極めが大変重要です。
近年の優秀な人材が日本を離れているのはこのような状況をいち早く察知して国籍放棄はしないものの精神的には日本から離脱しているということなのかもしれません。
コラム著者 BMDリサーチ代表 田原中男氏
1946年生まれ。東京大学経済学部、ハーバードビジネススクール(PMD)CIA(公認内部監査人)
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ(http://www.bmd-r.com)代表
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ(http://www.bmd-r.com)代表
田原中男氏の尖った提案 バックナンバー
バックナンバーは下記URLよりご覧下さい。
BMDリサーチ http://www.bmd-r.com
BMDリサーチ http://www.bmd-r.com


