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会計実務家コラム
会計ダイバーシティでは、会計領域でご活躍されている実務家の方々のコラム記事などをご紹介してまいります。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
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田原中男氏の尖った提案
2020/10/20 その278 何か勘違いしていませんか?
政府が日本学術会議の任命を6人だけしなかったとのこと。
学術会議の推薦に基づき首相が任命するという形式なので、外形的には任命しないことはでき、加藤官房長官の説明もそのようなものでした。しかし、首相の任命は形式的なもので正式な政府機関の体裁を整えるためであって実質的な選任は学術会議に委ねられています。閣僚の任命が天皇陛下の名でなされるのと同じで、もし上記の行動が許されるなら天皇陛下が閣僚の任命を拒否するようなものです。
行政機関には実質的な任命権(例えば内閣閣僚)と形式的な任命権(例えば文科省による国立大学学長)があり、形式的な任命では母体となる組織の推薦を尊重するのが民主主義の基本となっています。トランプ流なのか首相が全ての権限を持っていると勘違いしているのでは無いでしょうか。
行政法では「不作為の作為」という考え方があります。
簡単な例では、道路工事の際大きな亀裂を作ってしまい通過した車両に損害を与えたような場合は作為による結果ですから工事担当会社は責任を問われます。一方、大雨等で道路が陥没しているにも関わらず数日放置して警告の標識も出さなかった場合は何もしていないのですから通常は責任が発生しません。ここを通過した車両が損害を被った場合は、自己責任として処理されることもありますが危険を認識できて放置した、あるいは警告の標識を出していなかったとすれば「不作為の作為」として責任があるという考え方です。
今回の学術会議の任命に当てはめると、推薦名簿と異なる人を任命したのであれば作為による行為で責任を負う必要があります。また推薦名簿があるにも拘わらず任命しないのであれば、まさに不作為の作為となります。いずれの場合にしても判断基準は明確に示されるべきで加藤官房長官の「人事に関わることは明示しない」というのは誤りです。
記者の質問は「何故ですか?」というもので判断の基準を聞いたものです。判断基準を示した上で各個人についてどのように判断したかは任命者に委ねても良いかもしれませんが、基準が示されないのであれば詭弁に過ぎません。いつも言っていることですが、民主主義とは不自由な制度です。その不自由さのお陰で暴走を抑えようとしているのですが、形式論で全てをぶち壊すような手法は決して容認されません。
非常に重大なことですが、マスコミを含めて反応が極めて弱いことに危惧の念を懐かざるを得ません。
政府が日本学術会議の任命を6人だけしなかったとのこと。
学術会議の推薦に基づき首相が任命するという形式なので、外形的には任命しないことはでき、加藤官房長官の説明もそのようなものでした。しかし、首相の任命は形式的なもので正式な政府機関の体裁を整えるためであって実質的な選任は学術会議に委ねられています。閣僚の任命が天皇陛下の名でなされるのと同じで、もし上記の行動が許されるなら天皇陛下が閣僚の任命を拒否するようなものです。
行政機関には実質的な任命権(例えば内閣閣僚)と形式的な任命権(例えば文科省による国立大学学長)があり、形式的な任命では母体となる組織の推薦を尊重するのが民主主義の基本となっています。トランプ流なのか首相が全ての権限を持っていると勘違いしているのでは無いでしょうか。
行政法では「不作為の作為」という考え方があります。
簡単な例では、道路工事の際大きな亀裂を作ってしまい通過した車両に損害を与えたような場合は作為による結果ですから工事担当会社は責任を問われます。一方、大雨等で道路が陥没しているにも関わらず数日放置して警告の標識も出さなかった場合は何もしていないのですから通常は責任が発生しません。ここを通過した車両が損害を被った場合は、自己責任として処理されることもありますが危険を認識できて放置した、あるいは警告の標識を出していなかったとすれば「不作為の作為」として責任があるという考え方です。
今回の学術会議の任命に当てはめると、推薦名簿と異なる人を任命したのであれば作為による行為で責任を負う必要があります。また推薦名簿があるにも拘わらず任命しないのであれば、まさに不作為の作為となります。いずれの場合にしても判断基準は明確に示されるべきで加藤官房長官の「人事に関わることは明示しない」というのは誤りです。
記者の質問は「何故ですか?」というもので判断の基準を聞いたものです。判断基準を示した上で各個人についてどのように判断したかは任命者に委ねても良いかもしれませんが、基準が示されないのであれば詭弁に過ぎません。いつも言っていることですが、民主主義とは不自由な制度です。その不自由さのお陰で暴走を抑えようとしているのですが、形式論で全てをぶち壊すような手法は決して容認されません。
非常に重大なことですが、マスコミを含めて反応が極めて弱いことに危惧の念を懐かざるを得ません。
コラム著者 BMDリサーチ代表 田原中男氏
1946年生まれ。東京大学経済学部、ハーバードビジネススクール(PMD)CIA(公認内部監査人)
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ代表。
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ代表。
田原中男氏の尖った提案 バックナンバー
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BMDリサーチ http://www.bmd-r.com
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