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会計実務家コラム
会計ダイバーシティでは、会計領域でご活躍されている実務家の方々のコラム記事などをご紹介してまいります。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
田原中男氏の尖った提案
*毎週の連載から不定期での連載に変更となりました。
2024/3/28 その445 日本人の性格にみる危うさ
少し前になりますが自分の猟銃で近所の人を撃ったという事件がありました。
日本全体でどれだけの猟銃があるか知りませんが少なくとも1,000を大きく上回る数でしょうから多くても0.1%の事件発生確率です。
しかし公安委員会は猟銃保持の厳格化に動いており私の住む北海道では熊の駆除ができなくなると反対の動きが出ています。
事の賛否はともかくとして背景を考えてみましょう。
警察はこのような事件が2度と起きないようにと動きそれが銃規制の強化へと繋がります。
ある意味では完璧を求めるわけですが、その理由は社会的な反発を避けるということが背景にあり、そのまた原因は多くの国民が例えば警察については銃撃事件がこれからは決して起きないように求めているので、どうしても完璧さを求めることになります。しかしそれでも次の事件は起こるでしょう。
海外ではどうなっているのでしょうか。
アメリカのように皆が複数の銃を持ち西部劇のように腰に付けて歩いていたり、また大量襲撃事件が年に何十回も起きている国は特別ですがその他の国でも事件があったから規制を強化することにはなりません。
最近オランダではマリファナが合法化されたとのことです、世界でも稀な安楽死を認めている国ですから日本と比較するのは無理なのかもしれませんが、合法化の背景にはミニマイザーションというか考え方があるそうです。麻薬の使用を全面的に禁止できないのでより副作用の大きいMDMAやケタミンの拡大を防止する目的でマリファナへ誘導しようということです。
ここで民主主義という観点から考えてみましょう。
民主主義とは100:0ではなく場合によっては51:49で物事が決する社会ですからどんなことでも常に反対する人が沢山いることを意味します。だから為政者や経営者、リーダーは反対する人たちをどう説得するかが重要になります。
翻って日本では完璧を求めたがります。製品の品質が飛び抜けて高いという素晴らしい結果も生みますが同時にコストは高く「同調圧力がとても高い」ので多様性が少ないという面もありますし最近の世の中がなにか「息詰まる」のはこのような同調圧力が強すぎることも一因でしょう。最近言われる多様性とは異質な考え方を受け入れながら社会を築くということである意味、常に緊張を強いられると共に決断も求められるということです。
このように考えると日本の社会は独裁的な体制ができる可能性を潜在的に持っているのではないでしょうか。
完璧を求めるとその実現にはどうしても高圧的な統制が必要になりますので安全かもしれませんが同時に暮らし難い社会になるということになります。やはり各個人が一定程度の許容力を保持して折り合いをつけることで難しい個人と社会の接点を調整することが求められます。
多様性と許容力を一定程度持つことが民主主義を育てる基本と言えそうです。
例えば一定程度の移民を受け入れ社会の多様性を高めることも一案で、実は記紀の時代以前から日本には多くの国から人々が移り住み高度な技術や異なる文化が移転され結果的に国の発展に結びついてきました。移民に限らず日本列島には様々な人が住んでいました。アイヌ、エゾ、クマソ、琉球などなど、吉備や出雲もそれぞれ独自の文化を持っていたのではないでしょうか。
ここに中国大陸や朝鮮半島、さらに東南アジアからの移住者が混じり合って独特の文化を作り上げたのでしょうがこのような多様性を持ったことが発展の原動力となったと考えられます。国内は日本人だけという許容性のなさは結局発展、進歩から取り残されてしまうでしょう。
さてそれではどうしたら良いのでしょうか。最近のもう一つ事例から一つ考えてみましょう。
自民党の裏金問題です。国会での政倫審も開催されましたが何も進展はありませんでしたし、野党もその後の手は考えていないようです、しかもなぜか予算案は滞りなく通過してしまいました。この問題の背景を考えるとともに今野党は何をすれば良いのかを考えてみます。
まず、野党は無意味な政倫審などに拘るのではなく、抜本的な選挙制度改革案を提案し、堂々と解散を要求したらどうでしょうか。最終的な審判は選挙で決まるので、ここは審判を国民の手に委ねたらどうでしょうか。選挙制度の改革ですがまず現状を見ておく必要があります。自民党の派閥とはなんでしょうか、政治団体として認知されていますが党と派閥とはどんな関係にあるのでしょうか。
もう少し細かく見てみると多くの議員は後援会組織に乗って活動しており、その後援会は党とは別個の独立した存在で多くの場合地元の有力者(特定郵便局長だったり地元の建設業者などなど)が実権を握り議員はお神輿として担がれているようなものです。だから、政治的な主義主張が薄く個別の政策立案(議員本来の仕事)ができません。
そこで派閥に属して役職やあわよくば大臣の椅子を得るということになってしまいます。本来、小選挙区制とはこのような事態を想定していません。党が主導し各選挙区に候補者を擁立し、政策で競うというのが本来です。
従って、選挙制度の改革案として次のようなことが提案できます。
① 小選挙区と比例の並立を禁止する
② 比例選への立候補は現職のみとする(議席を持たない政党のみ例外)
③ 現職大臣は比例選のみに立候補できる
これらにより小選挙区で落選し続けても比例で復活当選というおかしな現象を防ぐとともに大臣は選挙期間中も職務に専念できます。
新人は選挙区で勝たないと議員になれないので政策立案、提案、政策議論が重要となりますし本当の実力が試されます。小選挙区制度の先輩、英国の有力政党では新人は激戦区に立候補させ、実力をつけさせるようなことをしています。
このような提案をして解散要求すれば2年以内には必ずある衆議院選挙での影響を考慮して自民党自体も対策が必要になりますので、野党は選挙で勝てなくても一定の成果があったことが証明され、その次への準備ができ与野党での緊張感が高まります。もう一つ、このようにすれば現状では比例選候補上位に高年齢男性議員が並びますので放置すれば比例選での得票率低下に繋がりかねず女性活用、若手登用の動きも出てくるでしょう。適度な緊張感が発展には必要ですし、個人的にも老化現象を防ぐことになります。
さらに「多様性」ということをもう少し深く考えてみましょう。
諸外国、欧米に限らずアジア・アフリカ諸国と比較しても今の日本は大変の遅れた状況にあります。アジア・アフリカ諸国の場合、高等教育を受けた人が少ないため確率的に女性の社会進出が促された面もありますが、それらの点を除いてもやはり日本の出遅れ感は否めません。
最近の自民党和歌山支部での「多様性を掲げたパーティー」は論外としてもやはり女性やマイノリティーに対する硬直性は大いにあります。これも完璧主義の一つの側面でしょう。つまり単に良い学校を出て成績が良いだけでなく全ての面でこれまでの主流派=男性に対して完璧に対等でないといけないという意識があるのではないでしょうか。
歪んだ主流派意識と同じになるということは現状を改革できないということと同義語であってそもそもの歪みを是正しようという意図は感じられません。
「俺について来い」意識とでもいうのでしょうか、世界を見渡したら「俺」そのものの立ち位置がずれてしまっているのに「自らが変わるのではなく、他をずれた自分に引き寄せる」のでは改革はできません。これもどこかに「自分は完璧」意識があるからでしょう。
結論的に言えば完璧主義が改革を拒んでいるということです。この状態が続くと何が起きるかと言えば諦め、無力感が蔓延し支配者(会社であれ、政府であれ、現状で力を持っている層)に対する抵抗がなくなり、やがては無意識に英雄待望論が芽生える結果独裁的支配者が生まれる大きな要素になります。最近の選挙における投票行動を見ても明らかで、政府、自民党に満足しないから野党に投票するわけでもなくまた投票率も低下気味で結局何があっても現状維持となり政権党は自分たちの主張や行動が支持されていると勘違いして徐々に無謀な政策をとるようになってしまいます。
このようなパターンは日本以外でもロシアや中国、そして最近ではアメリカのトランプ現象に見て取れます。
これらの課題を解決するための有効な方法は「問答無用」状態を無くすことでしょう。
最近の重要施策が国会での議論の前に閣議決定され、議場ではショー的なパフォーマンスで議論がないままさまざまなことが決定されるのはまさに「問答無用」です。与党の主張を聞いていると法案のどの部分が問題でそのための修正動議を出すわけでなく単に「何時間審議したか」に重点を置いています。
報道機関が決して伝えないことですが国会での質疑応答は事前に与野党相互で質問と回答を作成しTVの前でパフォーマンスしているだけなので即位即妙な議論はありません。英国議会でのベンチでの論戦とは全く異なりますので日本の議員に求められているのは正確に原稿を読むことであって丁々発止の議論をすることではありません。
TV中継を見れば原稿を読んでいるのがはっきりとわかりますし、その原稿は担当の役所が作成しているのです。
このために昔のような爆弾発言は無くなりましたが「国会は論戦の場」という意義はなくなり一層世の中に諦めムードを広めてしまっているのでしょう。石井紘基や楢崎弥之助といった爆弾男はもう出現しないでしょう。そして安倍政治の本質は「謝らない」「説明しない」「責任を取らない」でしたが問答無用の典型ですし、この道は独裁へと繋がりやすくなります。
「謝らない」「説明しない」「責任を取らない」の3点セットの元で育った若者の将来はどうなるのでしょうか、そろそろ中学・高校に進学し10?20年後には社会の中核となる世代ですから大変心配です。
今こそ色々な場面で「問答」し、議論することが一見遠回りでもより良い方向に向かうための第一歩のような気がします。
「無駄は無駄ではなく、必要な無駄は大いにするべし」
2024/3/28 その445 日本人の性格にみる危うさ
少し前になりますが自分の猟銃で近所の人を撃ったという事件がありました。
日本全体でどれだけの猟銃があるか知りませんが少なくとも1,000を大きく上回る数でしょうから多くても0.1%の事件発生確率です。
しかし公安委員会は猟銃保持の厳格化に動いており私の住む北海道では熊の駆除ができなくなると反対の動きが出ています。
事の賛否はともかくとして背景を考えてみましょう。
警察はこのような事件が2度と起きないようにと動きそれが銃規制の強化へと繋がります。
ある意味では完璧を求めるわけですが、その理由は社会的な反発を避けるということが背景にあり、そのまた原因は多くの国民が例えば警察については銃撃事件がこれからは決して起きないように求めているので、どうしても完璧さを求めることになります。しかしそれでも次の事件は起こるでしょう。
海外ではどうなっているのでしょうか。
アメリカのように皆が複数の銃を持ち西部劇のように腰に付けて歩いていたり、また大量襲撃事件が年に何十回も起きている国は特別ですがその他の国でも事件があったから規制を強化することにはなりません。
最近オランダではマリファナが合法化されたとのことです、世界でも稀な安楽死を認めている国ですから日本と比較するのは無理なのかもしれませんが、合法化の背景にはミニマイザーションというか考え方があるそうです。麻薬の使用を全面的に禁止できないのでより副作用の大きいMDMAやケタミンの拡大を防止する目的でマリファナへ誘導しようということです。
ここで民主主義という観点から考えてみましょう。
民主主義とは100:0ではなく場合によっては51:49で物事が決する社会ですからどんなことでも常に反対する人が沢山いることを意味します。だから為政者や経営者、リーダーは反対する人たちをどう説得するかが重要になります。
翻って日本では完璧を求めたがります。製品の品質が飛び抜けて高いという素晴らしい結果も生みますが同時にコストは高く「同調圧力がとても高い」ので多様性が少ないという面もありますし最近の世の中がなにか「息詰まる」のはこのような同調圧力が強すぎることも一因でしょう。最近言われる多様性とは異質な考え方を受け入れながら社会を築くということである意味、常に緊張を強いられると共に決断も求められるということです。
このように考えると日本の社会は独裁的な体制ができる可能性を潜在的に持っているのではないでしょうか。
完璧を求めるとその実現にはどうしても高圧的な統制が必要になりますので安全かもしれませんが同時に暮らし難い社会になるということになります。やはり各個人が一定程度の許容力を保持して折り合いをつけることで難しい個人と社会の接点を調整することが求められます。
多様性と許容力を一定程度持つことが民主主義を育てる基本と言えそうです。
例えば一定程度の移民を受け入れ社会の多様性を高めることも一案で、実は記紀の時代以前から日本には多くの国から人々が移り住み高度な技術や異なる文化が移転され結果的に国の発展に結びついてきました。移民に限らず日本列島には様々な人が住んでいました。アイヌ、エゾ、クマソ、琉球などなど、吉備や出雲もそれぞれ独自の文化を持っていたのではないでしょうか。
ここに中国大陸や朝鮮半島、さらに東南アジアからの移住者が混じり合って独特の文化を作り上げたのでしょうがこのような多様性を持ったことが発展の原動力となったと考えられます。国内は日本人だけという許容性のなさは結局発展、進歩から取り残されてしまうでしょう。
さてそれではどうしたら良いのでしょうか。最近のもう一つ事例から一つ考えてみましょう。
自民党の裏金問題です。国会での政倫審も開催されましたが何も進展はありませんでしたし、野党もその後の手は考えていないようです、しかもなぜか予算案は滞りなく通過してしまいました。この問題の背景を考えるとともに今野党は何をすれば良いのかを考えてみます。
まず、野党は無意味な政倫審などに拘るのではなく、抜本的な選挙制度改革案を提案し、堂々と解散を要求したらどうでしょうか。最終的な審判は選挙で決まるので、ここは審判を国民の手に委ねたらどうでしょうか。選挙制度の改革ですがまず現状を見ておく必要があります。自民党の派閥とはなんでしょうか、政治団体として認知されていますが党と派閥とはどんな関係にあるのでしょうか。
もう少し細かく見てみると多くの議員は後援会組織に乗って活動しており、その後援会は党とは別個の独立した存在で多くの場合地元の有力者(特定郵便局長だったり地元の建設業者などなど)が実権を握り議員はお神輿として担がれているようなものです。だから、政治的な主義主張が薄く個別の政策立案(議員本来の仕事)ができません。
そこで派閥に属して役職やあわよくば大臣の椅子を得るということになってしまいます。本来、小選挙区制とはこのような事態を想定していません。党が主導し各選挙区に候補者を擁立し、政策で競うというのが本来です。
従って、選挙制度の改革案として次のようなことが提案できます。
① 小選挙区と比例の並立を禁止する
② 比例選への立候補は現職のみとする(議席を持たない政党のみ例外)
③ 現職大臣は比例選のみに立候補できる
これらにより小選挙区で落選し続けても比例で復活当選というおかしな現象を防ぐとともに大臣は選挙期間中も職務に専念できます。
新人は選挙区で勝たないと議員になれないので政策立案、提案、政策議論が重要となりますし本当の実力が試されます。小選挙区制度の先輩、英国の有力政党では新人は激戦区に立候補させ、実力をつけさせるようなことをしています。
このような提案をして解散要求すれば2年以内には必ずある衆議院選挙での影響を考慮して自民党自体も対策が必要になりますので、野党は選挙で勝てなくても一定の成果があったことが証明され、その次への準備ができ与野党での緊張感が高まります。もう一つ、このようにすれば現状では比例選候補上位に高年齢男性議員が並びますので放置すれば比例選での得票率低下に繋がりかねず女性活用、若手登用の動きも出てくるでしょう。適度な緊張感が発展には必要ですし、個人的にも老化現象を防ぐことになります。
さらに「多様性」ということをもう少し深く考えてみましょう。
諸外国、欧米に限らずアジア・アフリカ諸国と比較しても今の日本は大変の遅れた状況にあります。アジア・アフリカ諸国の場合、高等教育を受けた人が少ないため確率的に女性の社会進出が促された面もありますが、それらの点を除いてもやはり日本の出遅れ感は否めません。
最近の自民党和歌山支部での「多様性を掲げたパーティー」は論外としてもやはり女性やマイノリティーに対する硬直性は大いにあります。これも完璧主義の一つの側面でしょう。つまり単に良い学校を出て成績が良いだけでなく全ての面でこれまでの主流派=男性に対して完璧に対等でないといけないという意識があるのではないでしょうか。
歪んだ主流派意識と同じになるということは現状を改革できないということと同義語であってそもそもの歪みを是正しようという意図は感じられません。
「俺について来い」意識とでもいうのでしょうか、世界を見渡したら「俺」そのものの立ち位置がずれてしまっているのに「自らが変わるのではなく、他をずれた自分に引き寄せる」のでは改革はできません。これもどこかに「自分は完璧」意識があるからでしょう。
結論的に言えば完璧主義が改革を拒んでいるということです。この状態が続くと何が起きるかと言えば諦め、無力感が蔓延し支配者(会社であれ、政府であれ、現状で力を持っている層)に対する抵抗がなくなり、やがては無意識に英雄待望論が芽生える結果独裁的支配者が生まれる大きな要素になります。最近の選挙における投票行動を見ても明らかで、政府、自民党に満足しないから野党に投票するわけでもなくまた投票率も低下気味で結局何があっても現状維持となり政権党は自分たちの主張や行動が支持されていると勘違いして徐々に無謀な政策をとるようになってしまいます。
このようなパターンは日本以外でもロシアや中国、そして最近ではアメリカのトランプ現象に見て取れます。
これらの課題を解決するための有効な方法は「問答無用」状態を無くすことでしょう。
最近の重要施策が国会での議論の前に閣議決定され、議場ではショー的なパフォーマンスで議論がないままさまざまなことが決定されるのはまさに「問答無用」です。与党の主張を聞いていると法案のどの部分が問題でそのための修正動議を出すわけでなく単に「何時間審議したか」に重点を置いています。
報道機関が決して伝えないことですが国会での質疑応答は事前に与野党相互で質問と回答を作成しTVの前でパフォーマンスしているだけなので即位即妙な議論はありません。英国議会でのベンチでの論戦とは全く異なりますので日本の議員に求められているのは正確に原稿を読むことであって丁々発止の議論をすることではありません。
TV中継を見れば原稿を読んでいるのがはっきりとわかりますし、その原稿は担当の役所が作成しているのです。
このために昔のような爆弾発言は無くなりましたが「国会は論戦の場」という意義はなくなり一層世の中に諦めムードを広めてしまっているのでしょう。石井紘基や楢崎弥之助といった爆弾男はもう出現しないでしょう。そして安倍政治の本質は「謝らない」「説明しない」「責任を取らない」でしたが問答無用の典型ですし、この道は独裁へと繋がりやすくなります。
「謝らない」「説明しない」「責任を取らない」の3点セットの元で育った若者の将来はどうなるのでしょうか、そろそろ中学・高校に進学し10?20年後には社会の中核となる世代ですから大変心配です。
今こそ色々な場面で「問答」し、議論することが一見遠回りでもより良い方向に向かうための第一歩のような気がします。
「無駄は無駄ではなく、必要な無駄は大いにするべし」
コラム著者 BMDリサーチ代表 田原中男氏
1946年生まれ。東京大学経済学部、ハーバードビジネススクール(PMD)CIA(公認内部監査人)
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ(http://www.bmd-r.com)代表
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ(http://www.bmd-r.com)代表
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