- TOP
- ≫ メッセージ
会計実務家コラム
会計ダイバーシティでは、会計領域でご活躍されている実務家の方々のコラム記事などをご紹介してまいります。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
業界の動向や時事問題などをテーマにした独自の視点・見解の内容となっておりますので、新たな発見の一助になれば幸いです。
田原中男氏の尖った提案
2017/8/7 その117 8月6日、9日、15日 そして7月31日
8月6日、9日は誰でも知っている広島、長崎です。9日はもう一つソ連が参戦した日でもあります。
8月15日は言わずと知れた終戦の日ですが、それでは7月31日は何の日でしょうか。あまり知られていませんがポツダム宣言の受諾期限です。
ビジネスの世界でもそうですが、多くの議論が結果を見てもし問題があれば結果を変えようとします。売り上げが予定通りでなければ売り上げ増加が目標になり、利益が足りなければ利益の積み上げが目標になります。
しかし、何事も原因があって結果が現れますし、結果に至る道筋も大きな影響を与えています。ですから結果を変えようとすると原因を探り、途中経過を観察し、どこに問題があったかを正確に把握した上で対策を立てないと何度も同じ失敗を繰り返すことになります。
冒頭の7月31日ですが、もし当時の日本政府がこの回答期限までに受諾をしていれば、あるいは受諾の意向を示していればその後のイベントに大きな影響を与えていたものと考えられます。
歴史に『IF』はありませんが、もし受諾していれば広島、長崎もなく、勿論ソ連の参戦もなくその後の膨大な数のシベリヤ抑留もなかったでしょう。
何故、7月31日には受諾しなかったのに8月10日に条件付き受諾、そして14日に無条件での受諾がなされたのでしょうか?
真実はわからないものの、国体護持が大きな課題であったことは明らかですが、原爆投下(日本政府は新型爆弾が原爆であったことを把握していた)やソ連の参戦が大きな要素になったことも間違いありません。追い詰められて選択肢が無くなったとも言えます。
日本がもう少し国際情勢に明かるければ戦後の米ソ対立がすでに始まっていたことで、アメリカもソ連の参戦前に終結したかったこと(ヤルタ会談でドイツ降伏から3ヶ月でソ連が対日参戦することは知り得なかったとしても)、交渉はソ連を通してではなくスイスやスウェーデン経由で行った方が有効であること等がわかったと考えられます。
自ら情報をシャットアウトしてしまい、有効な手立てが取れなかったという事実は現代のビジネスにも通じることです。
目まぐるしく変化し、スピードも早い現代のビジネス環境で生き抜くためには多様な情報網を持つことで、適切な判断ができ、結果的により優位に立てるわけです。
結果のみを変えようとするのではなく、そこに至る道筋の問題点を正しく把握し有効な手段を講じることが大切です。
8月6日、9日は誰でも知っている広島、長崎です。9日はもう一つソ連が参戦した日でもあります。
8月15日は言わずと知れた終戦の日ですが、それでは7月31日は何の日でしょうか。あまり知られていませんがポツダム宣言の受諾期限です。
ビジネスの世界でもそうですが、多くの議論が結果を見てもし問題があれば結果を変えようとします。売り上げが予定通りでなければ売り上げ増加が目標になり、利益が足りなければ利益の積み上げが目標になります。
しかし、何事も原因があって結果が現れますし、結果に至る道筋も大きな影響を与えています。ですから結果を変えようとすると原因を探り、途中経過を観察し、どこに問題があったかを正確に把握した上で対策を立てないと何度も同じ失敗を繰り返すことになります。
冒頭の7月31日ですが、もし当時の日本政府がこの回答期限までに受諾をしていれば、あるいは受諾の意向を示していればその後のイベントに大きな影響を与えていたものと考えられます。
歴史に『IF』はありませんが、もし受諾していれば広島、長崎もなく、勿論ソ連の参戦もなくその後の膨大な数のシベリヤ抑留もなかったでしょう。
何故、7月31日には受諾しなかったのに8月10日に条件付き受諾、そして14日に無条件での受諾がなされたのでしょうか?
真実はわからないものの、国体護持が大きな課題であったことは明らかですが、原爆投下(日本政府は新型爆弾が原爆であったことを把握していた)やソ連の参戦が大きな要素になったことも間違いありません。追い詰められて選択肢が無くなったとも言えます。
日本がもう少し国際情勢に明かるければ戦後の米ソ対立がすでに始まっていたことで、アメリカもソ連の参戦前に終結したかったこと(ヤルタ会談でドイツ降伏から3ヶ月でソ連が対日参戦することは知り得なかったとしても)、交渉はソ連を通してではなくスイスやスウェーデン経由で行った方が有効であること等がわかったと考えられます。
自ら情報をシャットアウトしてしまい、有効な手立てが取れなかったという事実は現代のビジネスにも通じることです。
目まぐるしく変化し、スピードも早い現代のビジネス環境で生き抜くためには多様な情報網を持つことで、適切な判断ができ、結果的により優位に立てるわけです。
結果のみを変えようとするのではなく、そこに至る道筋の問題点を正しく把握し有効な手段を講じることが大切です。
コラム著者 BMDリサーチ代表 田原中男氏
1946年生まれ。東京大学経済学部、ハーバードビジネススクール(PMD)CIA(公認内部監査人)
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ代表。
1970年、ソニー入社。人事、ビジネス企画、管理業務、子会社再建、内部監査を担当。特に内部監査については、金融、映画等すべてのビジネス領域を包括的に評価することを可能とするグローバルな内部監査体制を構築。2003年からはグローバルなソニーグループ全体の内部統制体制構築に勤める。ソニー退社後、新日本監査法人アドバイザーを経て、現在、内部統制コンサルティングBMDリサーチ代表。
田原中男氏の尖った提案 バックナンバー
バックナンバーは下記URLよりご覧下さい。
BMDリサーチ http://www.bmd-r.com
BMDリサーチ http://www.bmd-r.com